加藤薬局

「奇跡~軌跡 =55=」          会長 加藤哲也

(1)誕生

 昭和39年10月、上空を見上げれば、ブルーインパルスが描く五輪のマーク、ゆっくりと北多摩郡の上空を流れていく・・・大学4年の秋であった。
東京オリンピックも大成功に収め、高度成長もピークに達し、戦後という言葉も過去となり、近代文明の勢いの止まらぬまま大阪万博に向け、日本中は繁栄の一途を辿る。世にいう「いざなぎ景気」である。
 昭和40年明治薬科大学を卒業し、小野薬品工業株式会社東京支店に勤務となる。
 日本は経済大国となり、薬品業界もご多分に漏れず極度の右肩上がり。給与は他業界と比べ大変高く思えた良き時代であった。東京は華やかで、エレキブームとなり、ツイストが流行しあちらこちらで踊る老若男女、そしてビートルズが来日。
 プロパーという仕事、現在のMRとは違い自社商品のPRとともに受注を受けるのが任務であった。医家向け新製品タフマックカプセルの拡売時期であった。
社員の中には、学生時代を終え社会人となり、医薬品業界に投げ出され、急な人生の転換に厳しい現実を知り、社員のなかには脱落して去る者も少なくなかった。
 そんな中、薬業界は、OTCの全盛期を迎える。薬局の乱立を防ぐため、薬局間の距離制限を設ける動きが浮上してきた。法律用語で「概ね150メートル」とあり、直線で150mか歩いての実測値か、当時色々問題視され、よく揉めたようである。実家近くに薬局があり130m。
将来薬局をするなら今がチャンスでということで急遽開局することにした。市内幟町実家前の庭があり、そこへ10坪の薬局を併設したのである。総工費150万円弱の木造プレハブであった。
 開局は、1967年、昭和42年2月10日のことであった。

大学時代
(中距離選手として活躍していた頃)
新入社員時代
(前列右端)

有限会社 加藤薬局

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